元寇防塁~松原に埋もれた石たち~

元寇防塁築造の背景


鎌倉時代―
海外ではモンゴル帝国が世界各国を侵略し、東は中国北部や朝鮮、
西はヨーロッパまで支配する世界最大の帝国となりました。

モンゴル帝国の五代皇帝・クビライは、
中国南部の国家・南宋を襄陽・樊城の戦いで破ると、日本侵攻を決行します。
これが文永の役と呼ばれる、第一回目の元寇です。
クビライ
△クビライの肖像画

三万人とも言われているモンゴル軍は対馬、壱岐では勝利するものの、
博多では武士たちに敗退し、撤退しました。
蒙古襲来絵詞
△文永の役で奮闘する武将・竹崎季長

勝利することができた日本ではありましたが、
元寇の衝撃は凄まじく、対策を立てることにしました。
その一つが、本日紹介する元寇防塁の築造です^^
(前置きが長くてごめんなさい汗)

元寇防塁の位置

築かれた元寇防塁の位置図
△元寇防塁の位置図、「邪馬台国大研究」様より拝借しました。               
点線は元寇防塁がかつてあったとされる所、赤い線は元寇防塁が現在残っている所を示しています

九州の御家人は鎌倉幕府に命じられ、博多湾に沿って石積みの防塁を築きました。
その長さはなんと20km
しかも半年で築き上げたというのですから、とてつもないスピード感を感じます(;゜0゜)

位置図をよく見ると、
標高の低い箇所(緑色の部分)のみに元寇防塁を築いていることがわかります。
敵が上陸しやすいところに防塁を築いて守る…
中々理にかなっていて、なるほど考えているなあと感心します。

それでは実際に参りましょう!
元寇防塁は西南学院大のキャンパス内や百道浜など、様々なところで見ることができますが、
今回は当時の元寇防塁の姿を復元している生の松原(福岡市西区)に参りました^^

生の松原の元寇防塁

生の松原

生の松原です。
なんと約2㎞も海岸沿いに松が生えているそうです!
海からの風がそよそよ吹き、とても心地よく感じました^^
松原と博多湾

ここから博多湾を見ると、カクっと曲がっている陸地を見渡すことができます。
また、すーっと海が透き通っていて、とてもきれいな眺めになっています。
この眺めを楽しんでいらっしゃるのでしょうか、
地元の方々が散歩や談笑をされていらっしゃいました^^

そして…肝心の元寇防塁がこちら
元寇防塁

元寇防塁の高さは2m以上もあるのだそうです!
上陸しようとしてもこの元寇防塁を登らなければなりませんが、
そんなことをしている間に武士たちに攻撃されてしまいます。

実際の戦闘―弘安の役(二回目の元寇)では十四万ともいわれる大軍で攻めてきましたが、
その際に元寇防塁が大活躍し、モンゴル軍は上陸ができなかったそうです!
元寇防塁と博多湾

元寇防塁の後ろ側に来てみました。
ここに日本の武士たちが立って、モンゴル軍と戦っていたのですね。

青空と静かな海を眺めつつ、
松原に埋もれた石たちが
彼らの雄姿を語っています。


■本日紹介したスポットは、福岡市西区の生の松原の元寇防塁です^^

いつも遊びに来ていただき、ありがとうございます^^

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