大宰府政庁と古代城

大宰府と古代城

西暦663年、日本は白村江の戦いで大敗し、
朝鮮半島における影響力を完全に失うことになりました。
そこで大和朝廷は唐(中国)からの侵略を想定し、
博多にあった九州を統括する行政府(大宰府)を守りやすい内陸に移すことになりました。

やがて九州以外の大宰府は廃止され、大宰府は九州を統括する行政府を指すようになりました。
大宰府が廃止されたのちも地名は残り、今日の太宰府につながっています。

大宰府政庁跡(だざいふせいちょうあと)

正殿跡

大宰府の中心となった場所が、この大宰府政庁跡です。
かつてはこの場所に立派な行政施設があり、都を彷彿させるような都市が広がっていました。
その姿から、大宰府は遠の朝廷(とおのみやこ)と呼ばれるようになりました。

大宰府政庁跡の近くには資料館があり、大宰府の歴史を学習することができます。

記事・緑豊かな公園・大宰府政庁跡にて紹介しています^^

水城跡(みずきあと)

水城跡碑

唐の侵略に備え、
大宰府を防備するために、
大宰府政庁から見て博多側、平野が最も狭くなるこの地に、
平野を遮断するような長大な土塁を築いています。
かつては堀を設け、そこに水を溜め、難攻不落の様相を醸し出していました。
水を溜める城ということで、水城という名が付きました。

記事・木々が連なる水城跡にて紹介しています^^

大野城跡(おおのじょうあと)

百間石垣近景

大宰府の防衛拠点、また大宰府陥落時の籠城拠点として大野城が築造されました。
その際に朝鮮の古代国家・百済の技術を取り入れられ、高い土塁が目に付きます。
また四王子山全体を城として利用しているため、その巨大さに圧倒されます。

記事・大野城跡にて紹介しています^^


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