菅原道真が天に無実を訴えた山・天拝山

空も秋らしくなってきたなぁ…
吾輩は今日も旅をする…

今日は筑紫野市の天拝山(てんぱいざん)なのだ!
ばばさま曰く、かの学問の神様・菅原道真公が何度もこの山を登って、
天に向かって無実を訴えていたから、天を拝む山・天拝山という名がついたそうだ。

天拝山歴史公園

山をとことこ上る…
老若男女問わず、いろいろな人とすれ違う。
どうやらそれだけ親しまれている山のようだな?
当時の道真公も親しまれていたのかしら…?

菅原家は下級貴族だった。
当時の下級貴族は、立身出世をするためには学問に勉めることが肝心だったそうだ。
それで菅原家は代々学問に精を出し、塾を開くまでになったそうだ。
道真公は6歳で和歌を詠むなど、天才的な存在であり、
しかも門下生を多く官吏試験に合格させたのだそうだ。
それならば…きっと多くの門下生に慕われていただろう…

天拝山頂上

30分くらいで頂上に到着!
9合目が急勾配になるので、とてもきつかった…(´・_・`)

博多を臨む

頂上からみた景色は…きれいだなぁ!
手軽に山登りできて、こんなにきれいな景色を堪能できるから、人気なんだろう!
山から見下ろすと、少し偉くなった気分になる…のは吾輩だけ?笑
道真公はこの景色を見て何を感じたんだろうなあ…

天拝山頂上・パノラマ

道真公はいわゆる「世渡り下手」だったそうだ。
だから敵を多く作ってしまった…
(たぶん正しいと思ったことについては、どこまでも曲げなかったんだろう…)
それで、藤原時平の策略によって、京都からこの大宰府に左遷されたそうだ。

もしかしたら博多―航路で京都に繋がっている―を眺めて、
「故郷に、京都に帰りたい」
と思っていたかもしれない。
挫折、孤独、望郷…
どれだけ辛かったことだろう…

天を仰ぐ

雲間から太陽が差し込んできた。
こうやって道真公を日差しが包み込んだのだろうか。
どんなに誤解を受けていたとしても、
なんだか天だけはわかってくれている気がする。

だから、無実を訴えていたのかもしれない。
誰に訴えても信じてはくれないけれど、
天だけはわかってもらえると信じたから―――――

そんな感傷に浸っている吾輩・とらであった…

■本記事のスポットは筑紫野市の天拝山です^^

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