古代の入国管理局・鴻臚館

まつもんは今日も忙しいらしく、遊んでくれない。人間というものはいつも忙しくしているが、なぜもっとゆっくり生きないのだろうか。ただでさえ短い命を忙しく生きたところで、一体何になるのだろうか。まあよい。人間が忙しく生きたところで、吾輩には関係のないことだ。することもないので吾輩は寝ることにする…はっ…!ここはどこだ…なんか草原があるぞ建物があるぞ…一体ここは…何かの声「聞こえるか、とら。ここは鴻臚館(こうろ...

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銅鉱山の史跡・神間歩

香春町の採銅所地区田川郡香春町にある日田彦山線の採銅所駅です。採銅所という地名は、その名の通り銅が採れる場所ということからつきました^^奈良時代当時、採銅所ではよく銅が採れていたらしく、かの有名な東大寺の大仏も、採銅所の銅が使われていたそうです(^-^)/残念ながら現在は銅は採られておらず、地名と史跡のみが残っています。銅鉱山の史跡・神間歩採銅所には銅に関する史跡があります。その一つに神間歩公園があります...

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朝鮮から渡ってきた神が棲む社・香春神社

香春神社の御神体・香春岳中央やや左側にある三連山が香春岳です。三連山とは言っても、最も右側の山が大きく削られていますが…田川盆地ではどこからもこの山を眺められ、その独特な形状から田川のシンボルのような山となっています^^さて、この香春岳なのですが、実は立派なご神体でもあるのです!香春岳は一ノ岳、ニノ岳、三ノ岳の3つの山からなりますが、なんと全ての山がご神体であり、一ノ岳の麓にあるこの香春神社にて祀られ...

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大野城跡

白村江の戦いに敗れた古代日本は、唐からの侵攻に備えるために、大宰府政庁を内陸に移し、政庁を防衛する城を築きました。その一つが大野城跡です^^大野城跡は太宰府市・糟屋郡宇美町に跨る四王寺山全体を城域とします。日本百名城の一つに選定されており、福岡県民の森の管理施設の入口にスタンプが置かれています^^それでは、城門から大野城に参りましょう!大宰府からはこの門をくぐって入城しました。石垣は千四百年近くも前に...

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木々が連なる水城跡

本日は太宰府市・大野城市にある水城跡についてです^^写真中央部に、緑に覆われた土手のようなものがありますが、おわかりでしょうか?空中から撮影されたものです。(Wikipediaより拝借しました)この緑色の土手のようなものが、古代城・水城でございます。大宰府政庁を移転したのち、福岡平野が最も狭くなるこの地において、福岡平野を隔てるように土塁を築きました。水城は結局戦火に巻き込まれることなく、やがて廃れ、現在の...

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緑豊かな公園・大宰府政庁跡

本日は太宰府市にある、大宰府政庁跡についてです。教科書にも登場しますので、ご存知の方もいらっしゃると思います^^大宰府政庁跡は太宰府市民の憩いの場となっているようで、昼休み中のサラリーマンや子どもを連れたお母さん、若いカップル、ボール遊びをする兄弟、散歩をするご年配の方々など、様々な人がリラックスされていましたヽ(´∀`)ノあたりは緑、みどり、ミドリで落ち着きがあり、たいへん癒されます^^大宰府政庁跡の外...

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ヒガンバナが咲き始めたつづら棚田

残暑の厳しい日が続いていますが、いかがお過ごしでしょうか?「残暑よ早く終われ」と念じ続けている私まつもんですが、「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉の通り、彼岸の頃にはきっと涼しくなる…と信じています笑さて、その彼岸に咲く花・ヒガンバナについての話題です。本日はヒガンバナが有名なスポットに参りましたので、ご紹介いたします^^本日参った場所は、なんと日本の棚田百選に選ばれているうきは市の葛篭(つづら)棚田で...

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遠賀川河口

中間からさらに北上すると、遠賀川は芦屋で海に注ぎ込みます。芦屋はまさに舟の町といったところで、海や川を舟が行き来していることはもちろん、娯楽施設としてボートレース場があり、至る所で舟を見かけることができます^^(芦屋は赤色のマーカー)ボートが川を上っていきます。ボートに連れられたのか、海から吹く風が心地よく、涼しく感じます^^橋から海を眺めます。またボートが上ってきましたね^^本当に頻繁にボートが行...

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中間の水門とポンプ

遠賀川を下流に進むと、やがて直方(のおがた)平野に出ます。直方からさらに下ると木屋瀬(こやのせ、北九州市八幡西区)を経由して中間(なかま)に入ります。中間はかつては石炭産業で栄え、石炭産業が衰退した後は北九州市のベッドタウンとして発展しました。(中間は茶色のマーカー)かつて遠賀川は氾濫の多い川であり、かんがい用水と使用していた周辺の農民はよく困らされていました。(…と言うのも河口からの高低差が小さいため、川...

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ボタ山の見える駐車場

大隈からさらに川沿いに下ると、飯塚にたどり着きます。飯塚は江戸時代には長崎街道の宿場町として、明治以降には石炭産業で賑わう筑豊炭田の中心都市として発展しました。(飯塚は橙のマーカー)石炭産業で栄えたまちには、当時の遺構が未だに残っているものもございます。その一つが忠隈のボタ山です。このボタ山は、炭鉱で掘り出された石炭のうち、燃料として使い物にならないボタを、山のように積み上げて捨ててできたものでござ...

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